「師匠」は必要なのか?
気になる記事。「我流」でやる事の危険と、「師匠」の必要性について説いている。
仕事の速い「器用な人」ほど、実は危ない | なぜ、優秀な人ほど成長が止まるのか | ダイヤモンド・オンライン
一流の人、プロフェッショナルとして名を馳せている人には、ほぼ例外なく運命的な「師匠」たる存在がいる、と結んでいる。
ところが、一方で全く逆の意見もある。
師匠なんていた事はない、作家や登山家のような、独り我が道に挑む仕事に指導してくれる者などいない、と。
実際、自分の体験からすると、成人後に始めた楽器に関しては、正直我流でやっている事にはずっと不安や限界を感じている。なにしろ、楽器というのは過去・現在に至るまで達人が無数にいて、師弟関係も無数に存在する。その中で、我流の音を聴かせるというのはものすごくおこがましい気がするのである。できれば、将来的に師匠というべき存在に出会ってあらためて様々な事を学びたいものだと思う。
しかし、文学に関してはどうだろう。確かに、プロを招いての学習会とか、研究会などはあるようだが、書く事は・・・