潔癖症なのに汚部屋な男のお片づけ物語

ろくに生きていないのに再生物語とは書けない。とりあえず一度でも、生きろ。

漫画の弱点?とか考える

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前の更新から半年近くたちました。あれから世界は感染症で大変な事に

なっております。私の住む北方の街にも日々感染者が出現しております。

一度は押さえ込んだかに見えたのですがね もう政府がおかしい。

やはり東北は東北のやり方でやれる方法を考えないと駄目だね。

 

私自身の生活で変わった事というと、一番わかりやすいところでは、

毎週一度、3時間パックで過ごしていたネットカフェでの楽しみが脅かされた

点があげられますね。最近はまた行っていたのだけど、先日近くの席で

ゴッホゴッホずっと咳してる客がいて、やっぱりある程度広いとはいえ

密室で3時間パックというのは常識的に考えて危険だなと思った。

3時間パック、オープンシート(仕切りあり)で約650円、いろいろな漫画読める

のだけど、正直疲れるし、通常のヤングジャンプだけなら買えば300円台・・・

捨てられない性質なので週刊漫画誌が部屋に積みあがっていくのは憂鬱だが

しばらくはこちらの方が合理的という事になるだろう。

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さて最近読み始めた、気になる漫画の一つが上にあげたアニメの原作である

ゆるキャン△』(あfろ 作)。近年、今までにない形のキャンプブームが起こって

いる事は知っていたが、どうも本作はその火つけ役とも目されているようである。

そのキャンプの形とは、

「基本ソロキャンプ、時々仲間とキャンプ」

と、いうものらしい。なんだか、別段変わった事でもなくて、私のようなツーリング

ライダーにとってはソロキャンプなんて当たり前の事だし、そうでなくとも夏フェス

などに行く人にとっては仲間とフジロックなどに出かけて銘々にテントを張って・・

というのは自然な事だったろうと思える。しかしどうも、そういう特別なイベント

付きではなくて、とにかく純粋に独りでキャンプを楽しみたいと思う人たちが

増えた、という事らしいのだ。おそらく、昨今のコロナ禍の影響もあり、何かと

他人と距離をとって・・・という傾向にもマッチしているのだろうと思うが

(と思ったら昨日、岩手県初の感染者というのが、関東のキャンプ場で向こうの

仲間と同じテントで数日寝泊りして感染ったとかいってたが・・・汗)

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実は、この作品の前に手に取ったのが、『ふたりソロキャンプ』(出端祐大 作)

という漫画。 これなんかも、基本は独りでのキャンプを尊重しながらも、

時折二人で助け合う、学びあう、得意な料理を披露し合い、時間を分かち合う、

という事の楽しさ、有難さも表現する内容になっている。

ところで、これらキャンプを題材にした漫画作品にはどこか共通する否定的評価

がある。特に、『ゆるキャン△』は女子高校生たちが主人公で、冒頭には誰かと

何かするのが苦手で、敢えて常に独りで冬期のソロキャンプにこだわる少女が

登場するのだが、これに対する感想として、

「女子高生が独りでキャンプなんて、非現実的。性被害に遭う危険が大きいし、

親の観点から絶対認められない」

「結局、かわいい女の子で釣っているマンガ」

という意見がけっこう多かった。尤もな事ではある。いや、実際、『ゆるキャン△

の女の子たちは本当にかわいいのである(爆) 絵自体がセンスあるというか、

実に全体的に癒されるマンガなのは間違いない。

確かに、10代の少女が独りで野営・キャンプというのは現実的ではないだろう。

女性の単独ツーリングライダーというのは、北海道や沖縄などに昔からいなかった

訳ではないが、走る時は独りでもキャンプ場には誰かしら仲間がいたものである。

(というより、昔は北海道・沖縄のキャンプ場はどこも旅人でいっぱいだったのだ)

そうでなければ、彼女らは何らかの護身術を身につけ、ある種の屈強さを漂わせ

ていた。そう、女性のソロキャンプには、自分の身は自分で身を守る強さが必須

という事は言えると思う。さもなくば、少なくとも誰か頼もしい男性とペアである事だ

が、『ふたりソロキャンプ』の女性主人公はまさにそうしたパートナーを無理矢理^^

引き込んだのであった。

しかし、『ゆるキャン△』でそれをやると、もはや作品の根幹そのものが揺らいで

しまう。というのも、本作の肝は、他ならぬ「女性の自立」そのものであろうからだ。

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作品の性格自体が、マンガにありがちな「悪い人が存在しない世界」である、という

ところも重要だが、冒頭にまずソロキャンプにこだわる主人公を登場させるのは

作品の基本的なスタンス、何を一番重要視するか、を明確に示したものである。

一つの考え方としては、現実に少女がソロキャンプして良いかどうかではなく、

かつて学生運動でも言われた「連帯を求めて孤立を恐れず」ではないけれども

「まず個あっての仲間」という、人間関係の理想形を少女の姿を借りて表現して

いる、とも言えるだろう。しかしそれと彼氏と一緒にキャンプしない事とは無関係

じゃないのか?と反論されるかも知れない。そこに性の優位性、性のしがらみを

介在させない事、もっと言えば、

「少女がソロキャンプできる世界になるべきだ」

という叫びすら聞こえてきそうな、追究されゆくユートピアの物語、とも言える・・・

のかも知れないのである。

 

それにしても、否定的評価にあるように、

「結局、かわいい女の子で釣っているマンガ」

というのも、揺るがぬ事実ではある。というより、これは実は現代のマンガ全体に

言える事であって、マンガというメディアを呪縛する最大の弱点でもあるのだ。

考えてみてほしい。かわいい女の子や、美女が一人も登場しないマンガが、

この世にいくつ存在するかという事を。

無い事は、多分、ない。しかし、少なくとも、歴史上のヒット作には、全く無い。

手塚治虫松本零士藤子不二雄に始まって、『ナウシカ』の宮崎駿だって美少女

なしには考えられない。田川水泡の『のらくろ』や水木しげるの『鬼太郎』ぐらい

だろうか?(猫むすめがいたじゃないかと言われるだろうが、水木氏は美少女の

つもりで描いていたのか・・いや、アニメ化のたびに美少女化しているではないか

・・・やはり猫むすめは美少女だったのだ!!ごめんなさい水木先生、猫むすめ)

ゴルゴ13』も、美女で釣ってる、とは言えないかも知れないし、『沈黙の艦隊』とか、

AKIRA』とか美女いたっけ?と勘ぐってしまう作品はあるが(またごめん、ケイ)

現代のマンガでは本当に「かわいい女の子で釣っていないマンガ」は稀である。

(あの『ゴールデンカムイ』でさえもアシリパさんなしであれだけ人気が出たか?)

これがマンガというメディアが現代もしばしば卑下される要因でもあるだろうが、

実のところ、かつて「女不在」が普通にあった文学や映画の世界でもこの傾向

は顕著であるように思える。特に小説なんか、実際の美少女の顔は拝めない

にもかかわらず(笑)読者を惹きつける為、商業的に少しでも売れんが為にか

美少女・美女キャラクターを登場させるのである。エンターテインメントと称して、

商売上手に走る事が別に軽蔑されるべき事でなくなっているという事なのかも

知れないが・・・現在、コロナ禍の中静かなヒット再燃となっているというカミュ

『ペスト』、私も読んでいるのだけど、これが女性、ほとんど出てこない^^

やっぱり、かわいい女の子なしでも読者を惹きつけ、遥か後世にまで残る作品

を、とも思うのが真の作家だろうか?いやいや、手塚治虫は言ったではないか。

マンガは妄想である マンガは・・・ 言わなかったっけ?